―御社の事業内容や従業員数、海外に進出された経緯についてお聞かせください。
株式会社日本オフィスオートメーションは日本では、シャープ製複合機の9割を弊社で設置しています。シャープディーラーから設置の依頼があり、弊社の倉庫に在庫として保管、運送し、設置して、説明・保守点検もして、古いコピー機を回収する。この全てを一つの会社でやっていることが弊社の特徴であり、強みでもあります。 そして、回収した古いコピー機は買い取って、自社でオーバーホールし、レンタルに回すということもしています。 海外に進出した経緯というところでは、弊社は日本では既に業界トップであり、日本全国をほぼ網羅し成熟したと言えるため、次の市場として海外に着目したというのが一つです。 二つ目は、進出した当初タイではカラーの複合コピー機というのはまだまだ当たり前ではなく、高価なイメージだったのを、レンタルという発想で価格を抑えた上でモノクロの世界をカラーに変えていく、という考えでした。 また三つ目は、日本から進出したばかりの資金の少ない企業に、レンタルでリーズナブルにコピー機を提供するという、“OA機器の立場から海外進出企業を応援しよう”という意図がありました。 上記のような狙いで、2014年10月にタイに進出し、現在はタイスタッフが10名、日本人は私1人です。 ただ、進出した当初は、社員がなかなか定着しなかったり、ビジネスモデルが当初の予想と異なったり、苦しんだ時期もありました。-タイ人従業員が10名ということですが、チームワークを向上させるためにされていることはありますか。
タイの人というか、もしかしたら弊社の従業員に限ってなのかもしれませんが、お参りやお寺巡りがステータスなのか、弊社では頻繁に行っています。12月には忘年会もやります。 それから他には、年に数回社員旅行で日本の社員がタイにやってくるのですが、今までは日本の社員たちは会社に顔を出すだけだったのですが、今年は日本からの社員とこちらの現地スタッフの食事の場をセッティングしたところ、現地従業員も喜んでいました。他の会社を見ても、親会社の、しかも若手社員と交流できることはほとんどないと思います。 このようなイベントがあると、嫌なことも忘れてリフレッシュできるようです。仕事場だけでなく、仕事場以外の交流をタイ人は望んでいるのだと思います。―日本品質のサービスやカルチャー、スキルをどのように根付かせていらっしゃいますか。
一つの例ですが、社内の監視カメラに隠れるところでずっと携帯をいじって、それで残業代を稼ぐようなことが昔はありました。今は、従業員の中で一人リーダー的な存在がおり、他のメンバーは彼の親戚関係なんです。リーダー的な人の存在は絶対のようで、タイの人は人前で叱責されたりするのを嫌いますが、彼のもとではそういう状況になっても誰一人やめません。かなり厳しく叱責することもありますが、そこまでしないと下の者がびしっとしないというのはあるようで、そういうところはそのリーダー的な人に任せています。その人に大いに助けられていると思います。私が赴任してから辞めた従業員はいません。 また、技術的なことに関しては、日本でカッチリ決まったオーバーホールのやり方があり、その教材DVDを用い日本式の教育していきました。 タイ特有といわれる、時間の感覚については、私自身が直接細かく指示を出すようにして、日本人らしい質の高いサービスや時間の厳守、そういうことを意識してやらせています。 とはいえ、時間のことは実際には難しいです。9時から10時の間と約束をしていたのに、その前に2件くらい他のお客様のところに行っていて、結局約束の時間を大幅に過ぎた11:30に訪問してしまうなど、単純に計画性や時間の感覚の問題、もっというと言葉の問題が大きいのかなと。そういったところで歯がゆさがありますね。 言葉の問題ということに関しては、こちらの思いが届かないと感じる場面も多々あります。―時間の管理ということで、勤怠管理についてはどのようにされていますか。
勤怠管理システムのKing Of Timeを導入しています。 今まではLINEでグループを作って、「出勤しました」「退社します」とメッセージを送ってもらい、スタッフに毎日メモを取ってもらうというアナログな方法で行っていました。 やはり最初が肝心というか、アナログな方法で始めた人たちへの定着に時間がかかり、3ヶ月ほどしてようやく定着してきたなと感じています。“ピッ”とやること自体がなかなか定着しないのです。毎日毎日メールで督促し、習慣化するよう粘り強く取り組みました。 今はアナログの勤怠管理とKing Of Timeの両方での入力をやっていますが、もうすぐKing Of Timeへ一本化する予定です。-小宮山様のご経歴についてお伺いします。
現在42歳で、21年前に先代の代表に拾われました。昔は音楽をやっていまして、音楽活動があるので5年くらい正社員ではなくアルバイトで働いていました。やっていたバンドの夢もあきらめたというときに正社員への打診がありました。会社として日本全国に出店していくという時期と重なったこともあり、金沢に拠点を出すから行けといわれました。金沢で2年くらいやって東京へ。東京では技術者として、メーカーの修理の代行をしていました。地方から人を集めて定着させて、技術を持って地方に返すというような体制を目指した部署でしたが、仕事的にはあまり面白くなく、もう辞めたいと思った時期に、誰かが見ているのかなと思うくらいのタイミングで福岡転勤の辞令が出ました。福岡で4年を過ごした後、東京に戻り企画の仕事をしました。その後他社への出向を経て、出店したばかりの八王子の責任者を二年間やらせてもらいました。その後東京に戻る前に、仙台に行き3年間責任者をやりました。それから現在のタイです。当社の中で一番異動が多い社員です。 出店を金沢と八王子2つ経験することで、金沢のときにうまくいかなかったことを八王子で生かせたり、福岡と仙台という大きな拠点でやらせてもらったりと、多くの経験・勉強をさせて頂きました。-日本での責任者の立場とタイ法人における責任者は全く違うものでしょうか。
全く違うと感じています。こちらではとにかく自分の思うようにコミュニケーションがとれないということがあります。 コミュニケーションが取れない中で心がけていることは、挨拶です。必ず朝はこちらから挨拶しに行きますし、帰る時もエンジニアのところに行って挨拶して帰ります。たかが挨拶と思われるかも知れませんが、こういった小さいコミュニケーションが蓄積されることが信頼関係を築く上で重要だと思っています。―ズバリ会社では孤独ですか。また、利益を増やしている勝因はなんでしょう。
日本でも責任者という立場は孤独ですが、現在はそれに輪をかけて孤独だと言えます。言葉の壁が最も大きいですが、その他にも壁と感じることが赴任当初は多く、体調を崩すこともありました。それを今も乗り越えたわけではないですが、語学学校に通うなど、努力しています。 そんな中での成功体験ですが、今までの責任者よりも社員教育・人を育てるということに力を入れたということが言えると思います。 今までは日本人同士で商談していたのですが、コピー機を入れるときはその会社の購買のタイ人の方を動かさないといけないということがあり、今では現地従業員に商談させるようにしています。メールの文章から手取り足取り教えています。 利益という面では、売り上げを上げて仕入れ値を抑えて販管費を抑えれば自然と出ます。売り上げはすぐに成果は出ませんが、仕入れと販管費に関しては、やればすぐ下がります。来てすぐ仕入れと販管費は抑えて黒字に変えました。 それと、HP広告を出したのが大きかったです。それまでは昔ながらのゴルフ営業でしたが、ある程度まで来たら伸び悩んでいました。HP広告を出してからぐっと伸びました。 しかしなんといっても、社員の成長が企業の成長、社員の努力が企業努力なので、まずは社員を定着させるということに重きを置いています。日本で仕事をしていたときに、人がどんどんやめていく拠点というのはとにかく空気が重いと感じていました。タイへの着任後は、取れない中でもコミュニケーションを計り、極力明るい雰囲気にという意識はしています。小さい工夫ですが、音楽やラジオなどのBGMを流しています。音があがると声も少し大きくなって、知っている歌だと口ずさんでテンションが上がるとか。 やはり社員が少しでも会社に長く残ってもらえれば嬉しいです。―最後に、会社と個人のビジョン・展開をお聞かせください。
会社に関しては、ペーパーレス社会と言われながら、色々な展開で紙を刷るということに結び付けていけばまだまだ伸びしろはあると思います。ゆくゆくはチェンマイやプーケットに拠点を設立するという夢もあります。 また日本に戻ったときに本社からどれだけタイをバックアップできるか、そんなところも視野に入れています。 あとは今やっていることとして、日本で英語の話せるタイの方を採用しました。今ビザがとれるまでここに来て研修をしています。英語が話せてパソコンができてコピー機もできるという人を、オリンピックに向けて育てています。そのケースがうまくいったら、タイで採用した人を日本に送るということにも挑戦できればと思っています。 個人としてのビジョンということでは、日本からすればタイは小さな拠点ですが、さまざまな新しい試みができ、ゼロからの出発に近いので、そんな中で責任者としてのやりがいを感じ、社員を教育しつつ自らも成長し、何かしらの社会貢献ができればと思っています。日本でクラウド勤怠管理システム「キングオブタイム」を開発し、国内シェア トップクラスを獲得したメンバーが、その海外展開として東南アジアへ進出。徐々に人事管理が浸透してきている東南アジアでも勤怠管理システムや人事管理システムを提供し、ローカル企業のクライアントも多数。 |