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【タイ】タイが民主化に動いた日

2014年10月06日

週刊WISE

タイが民主化に動いた日
民主主義の日とされる10月14日。
政治に革命がもたらされた「血の日曜日」を振り返る。


 香港で民主化を求めるデモが加熱している。かつて、タイでも、市民が民主主義を掲げて立ち上がり、大きな転換を遂げた日がある。

 1973年、学生らが民主化を訴え、決起したことに端を発する。彼らは、71年のタノーム首相のクーデター以後、暫定憲法下における軍の独裁に対して、民主憲法の制定を要求。バンコクの主要交差点で、民主化を訴えるパンフレットを配布するなど、活動を本格化していった。政府は、この行動に対して、「5人以上の政治集会を禁止する」という国政評議会の定めに反するとし、パンフレットを配布していた学生13人を逮捕。タイ全国学生センター(NSCT)を中心とした学生は、これに対し抗議集会を開き、会場となったタマサート大学には全国から20万人もの学生が集まったという。

 10月13日、デモと化した学生は、ラチャダムヌーン通りの民主記念塔で集会を開催。一般市民も合わせ、その数は50万人にも膨れ上がった。空前のデモを指揮したNSCTの代表は、国王と謁見し、当時のプラパート内務相兼副首相と会見。前述した13人の無条件釈放と憲法発布の確約をとり、勝利を宣言した。そしてデモは解散し、民主化への道が開けるはずだった。

 ところが、翌日の14日「血の日曜日事件」が起きる。勝利を宣言したNSCTだったが、すでにデモ隊は内部分裂していた。武闘派のセークサン・プラサートクン率いるデモ隊“黄色い虎”は、集会の続行を訴え、王宮へとデモを進めた。そして、ラチャダムヌーン通りで武装警察と衝突。ヘリコプターや戦車が現れるほどの激しい戦闘となり、77人の死者と、857人の負傷者が出たという。

 政権は崩壊し、タノーム首相、プラパート副首相および、タノーム氏の息子は国外に逃亡。その後、タマサート大学の学長が首相に任命された。憲法発令後は、総選挙までの暫定国会議員を選出し、ようやく民主政治へのスタートをきる。

 なお、先日、選挙管理委員会のプラウィット氏は「11月から公立学校で民主主義の授業を始める予定がある」と発表した。これは軍事政権下でも、タイが民主化を重要視しているということなのだろう。

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